天満橋の怪
皆様はご存知でしょうか?
天満橋界隈では、道路を挟んだお向いとは同じ町名なのに、すぐ裏の家とは必ず町名が違います(例外/大手前、東高麗橋、本町橋、常盤町)が、その理由を知っている方は決して少なくないでしょう。
⇒東西の横堀川に囲まれた城下町は、大坂城に向かう東西道を軸に碁盤の目に区切られ、その道路に面した建物の背中どうしのところ(裏口)に下水溝が掘られました。この下水溝は「背割下水」、あるいは太閤秀吉にちなんで「太閤下水」と呼ばれています。当時の大阪は、この太閤(背割)下水に挟まれた約40間(72メートル)四方の区画が町割りの基本となっていました。
では、北大江公園の北側に、ここだけ石段の階段がありますが、何でここだけ坂道ではなく、階段になっているのでしょうか?
そして、段差が違うのは何故でしょうか?
正解は
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「八軒家の旧船着き場」です
昔のまま残った味のある階段が、歴史を感じさせてくれる空間となっています?
天満橋に来られた際は是非立ち寄ってみられてください?